映画「草間彌生♾INFINITY」2019年11月22日(金)公開

世界的アーティストの1人として知られる草間彌生。絵画や彫刻、インスタレーション、パフォーマンスアート、詩や文学……様々な分野で輝かしい功績を残し、現在もなお創作活動に全てを捧げて生きている。

そんな草間彌生の作品に心を奪われたヘザー・レンズ監督。1950年代から70年代初頭にニューヨークで創作活動をしていた草間のアート界に及ぼした影響が見落とされていることに気づき、「草間彌生の複雑なストーリー(人生)と芸術(才能)を分かち合ってもらいたいと思った」と、ドキュメンタリー『草間彌生∞INFINITY』を制作。

この映画は、草間彌生がどのようにして芸術の道へ進み唯一無二の表現者になったのか──芸術への情熱を理解されなかった幼少期、単身アメリカへ渡った挑戦、苦悩と困難の連続だったニューヨークでの創作活動、作品が認められるまでの道のり、大切な人達との出会いと別れ、強迫神経症という病……波瀾万丈のひと言では足りないほどの超絶人生を送ってきたアーティストの人生に迫る。草間彌生本人のインタビューに加え、70年に渡る創作活動の記録、草間彌生の才能を語る芸術関係者の声によって構成される衝撃の77分! 知られざる草間彌生の人生に心をつかまれる!

草間彌生と言えば水玉のアート。無数に描かれる“水玉”のカラフルな世界はあまりにも有名だが、アーティストとしての道のりは決して順風満帆ではなかった。

尊敬する女性アーティストの助言を受け、1957年に単身渡米。翌年活動の拠点をニューヨークに移すものの当時は女性芸術家が単独で個展を開くのは不可能な時代。

男性芸術家と同じように画商の協力を得ることは難しかった。それでも「アメリカの美術界を塗り替えてやる!」という情熱を原動力にして、絵を見てもらうため、自分を認めてもらうため、死に物狂いで絵を描き、不公平な社会と戦い、自分で自分を売り込むパフォーマンスを仕掛けていく。

そんな草間彌生の創り出すものがどれだけ斬新だったのかが分かるエピソードも描かれる。それは彼女の作品に刺激を受けたアーティストたちが作品を真似て名声を得ていたという事実。そのなかにはアンディ・ウォーホルもいた。

また、強迫神経症、うつ病と診断されても、どんなに苦しくても、自分らしく創作を続けたその粘り強さと頑固さからは勇気を受け取るだろう。「私の作品は、私の心の悩みを美術で還元している」と草間彌生が語っているように、どう生きるか、どう生きたいのか、彼女の作品には生きるヒントが無数に散りばめられている。

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草間彌生

数十年の間、草間彌生は20世紀を代表するアートムーブメントを牽引し、超越してきた。 水玉やネット・ペインティングなどの芸術作品、パフォーマンス・アート、 部屋の壁や床を使った表現方法、野外彫刻、文学、映画、ファッション、 デザインなど様々な分野で探求し、影響力のある作品を残している。

過去数年だけ見ても、ポンピドゥ・センター、テート・モダン、ホイットニー美術館、 国立新美術館、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭など、世界中の名だたる美術館で展示を行っている。

1929年

3月22日長野県松本市に生まれる。

1939年

10歳の頃より水玉と網模様をモチーフに絵を描き始め、水彩、パステル、油彩などを使った幻想的な絵画を制作。

1957年

渡米し、すぐにシアトルで個展が開かれた。翌年よりニューヨークに引っ越し、1959年にはニューヨークでの初個展をブラタ画廊で行なった。この頃より巨大な絵画、ソフト・スカルプチャー、鏡や電飾を用いた環境彫刻など、革新的なアート作品の制作を始める。

1960年代後半

ボディ・ペインティングや反戦運動など多数のハプニングを行う。

1966年の*第33回ヴェネツィア・ビエンナーレで、屋外にプラスチックのミラーボール1500個を芝生に敷き詰めた作品『ナルシスの庭』を展示。1個1200リラで販売しようとしたが、ビエンナーレ当局に禁止される。

*1895年からイタリアのヴェネツィアで開催されている現代美術の国際美術展覧会

1968年

監督・脚本・主演を務めた映画『草間の自己消滅』は第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、 アン・アーバー映画祭で銀賞、第2回メリーランド映画祭にて受賞を果たした。

1973年

日本に帰国。美術作品の創作発表を続けながら、小説、詩集も多数発表。

1983年

小説『クリストファー男娼窟』で第10回野性時代新人文学賞を受賞。

1986年

フランスのカレー市美術館、ドール市立美術館にて個展「草間彌生」を開催。

1989年

アメリカで初となる回顧展「草間彌生」が国際現代美術センター(CICA、ニューヨーク)で開催。

1993年

第45回ヴェネツィア・ビエンナーレで日本館初の個展を開催。

1994年

初めての野外彫刻《南瓜》(直島、香川県)を制作。以後世界中で多くの野外彫刻を制作する。

1996年

国際美術評論家連盟アメリカ支部より、ニューヨークのポーラ・クーパー画廊での個展とロバート・ミラー画廊の個展がそれぞれベストギャラリー賞1995/96と1996/97を受賞。

1998年

個展「ラブ・フォーエバー:草間彌生 1958-1968」がロサンゼルス・カウンティ美術館を皮切りにニューヨーク近代美術館、ウォーカーアートセンター(ミネアポリス)、東京都現代美術館を巡回。

2000年

第50回芸術選奨文部大臣賞、外務大臣表彰を受賞。同年、フランスのル・コンソルシウムで始まった個展「草間彌生」は、パリ日本文化会館、ブランツ・クレーデファブリク美術館(デンマーク)、レ・ザバトワール(フランス)、クンストハレ(オーストリア)、アートソンジュ・センター(韓国)を巡回。

2001年

朝日賞受賞

2002年

松本市美術館開館記念個展、紺綬褒章を受賞。

2003年

フランス芸術文化勲章オフィシェ受勲、長野県知事表彰(芸術文化功労)を受賞。

2004年

森美術館(東京)、札幌芸術の森美術館で個展「クサマトリックス」を開催。

2006年

ライフタイムアチーブメント賞(芸術部門)、旭日小緩章受章、第18回高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞。

2008年

ボイマンス・ファン・ベーニンゲン博物館(オランダ)にて回顧展「草間彌生 ミラード イヤーズ」の巡回が始まる。松本市名誉市民に推挙される。

2009年

文化功労者に選出。

2011年

回顧展『草間彌生』が国立ソフィア王妃芸術センター(マドリッド)ではじまり、ポンピドゥー・センター(パリ)、テート・モダン(ロンドン)、ホイットニー美術館(ニューヨーク)を巡回。

2012年

国立国際美術館(大阪)を歯切りに個展『草間彌生 永遠の永遠の永遠』が、国内10館を巡回。新宿区栄誉区民に選ばれる。ルイ・ヴィトンとのコラボレーションを発表。

2013年

個展「草間彌生 インフィニット・オブセッション」がラテンアメリカ芸術博物館(ブエノスアイレス)ではじまり、中南米6館を巡回。

個展「草間彌生 わたしがみた夢」が大邱美術館(韓国)ではじまり、アジア5館を巡回。

2017年

個展「草間彌生 わが永遠の魂」が国立新美術館(東京)で開催。

個展「草間彌生 無限の鏡」がハーシュホーン博物館と彫刻の庭(ワシントンD.C.)ではじまり、北米5館を巡回。

個展「草間彌生 人生は虹のこころ」がシンガポール国立美術館ではじまり、ブリスベン、ジャカルタを巡回。

草間彌生美術館開館。東京都名誉都民に選出。

2018年

松本市美術館にて個展「草間彌生 ALL ABOUT MY LOVE」が開催。

2019年

Fosun Foundation(上海)にて、個展「草間彌生 愛のすべては永遠に語っている」が開催。

公式サイト

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