近代デザイン史の流れ

デザイン史の年表

最近はデザイン性の高い商品やパッケージデザイン、目を引くグラフィックデザインが増えてきています。
デザインが企業経営に与える影響については、APPLE社を見れば一目瞭然です。
デザインはいつごろから私たちの生活に入り込んできたのでしょうか。
デザイン史は産業革命のスタートとともに始まっていて、「未来を作ること」と関係しています。

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モダン・デザインのプロジェクト運動

イギリスで始まった産業革命により社会・経済の構造は大きく変わり、19世紀はその変化の中で装飾様式が氾濫していました。
人々の生活が徐々に豊かになるにつれて、デザインを通じて人々の生活や環境をどのように変革し、どのような社会を実現するかという問題意識を持った運動が起こりました。
モダン・デザインのプロジェクト運動と呼ばれます。

イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の興り

19世紀半ば、過去からのさまざまな様式を折衷した統一感のない歴史主義と呼ばれる装飾様式が氾濫していました。
これと並行して、産業革命による大量生産の進行は、大衆へ安価にものを届けることを実現した一方で、これまでの「手」による生産とは異なる粗悪なものが広がる一因にもなりました。
このような時代背景の中、詩人、デザイナーなど多方面で活躍し、モダン・デザインの父と呼ばれるイギリスのウィリアム・モリスは、氾濫する折衷様式や機械により断片化された大量生産のもの作りに異を唱えました。
そこでモリスは、「赤い家」を中心としたアーツ・アンド・クラフツ運動のもとで、統一された生活様式を共同体的に結ばれた人々の手によって作り出そうとしたのです。


フランスのアール・ヌーヴォー

19世紀末から20世紀初頭はアール・ヌーヴォーの時代でもありました。
アール・ヌーヴォーとは、フランスのサミュエル・ビングの店舗名から一般化した様式が世界同時的に広まった美術運動です。
花や植物などをモチーフに、鉄やガラスなど当時の新しい材料を使ったデザインが特徴です。
今ほど情報ネットワークが発達していない当時にあって、アール・ヌーヴォーが、ほぼ同時期に世界中に広がったことは、産業ブルジョワジーが産業の発展と共に各国で台頭したことと、メディアの発展が挙げられます。
アール・ヌーヴォーは、かつての支配階級に代わり台頭してきた産業ブルジョワジーたちの生活空間を、当時の新素材である鉄・ガラスや植物のもつ有機的な曲線を使い統一的な様式で覆い尽くしたのです。

イタリアの未来派芸術運動

同じ頃(1909年)、イタリアでは詩人のマリネッティによって「未来派設立宣言」が発表され、未来派と呼ばれる芸術運動が起きていました。
これは伝統的な美の概念を否定し、機械により創造されるスピード感を美として称える運動でした。
過激な思想は、後のイタリア・ファシズムに影響を与えることになりますが、過去を否定(歴史的な束縛から芸術を解放)し、視線を未来に向けたという点が特徴として挙げられます。

オランダのデ・ステイル

オランダでは1917年、モンドリアンらが20世紀の新様式を目指してデ・ステイルというグループを結成しました。
雑誌の発刊や展示会の開催、リートフェルトによるユトレヒトのシュレーダー邸の建設などによってその活動がヨーロッパ中に広がりました。
『デ・ステイル』はバウハウスの学生にも影響を与えたと言われています。



ドイツのバウハウス

ドイツでは機械テクノロジーを背景にしたデザインを生み出そうとする動きが起き、ドイツ工作連盟が1907年、ドイツ製品の質・量の向上を目的に設立されました。
氾濫する装飾様式へ対抗するために固有の様式を規格化し、大量生産にのせることで調和ある世界を目指そうとしたのです。
モリスの影響を受けたムテジウスが中心となっていましたが、モリスの手の復権とは逆の規格化という方向で調和を探りました。
この規格化に対し、ヴェルデは一定の型や基準に統一していくことに反対して美術工芸学校を設立しました。
しかし、第一次大戦が迫る中、ヴェルデはその学校を、規格化を推進するドイツ工作連盟のメンバーであったグロピウスに託そうと打診したのです。
結局その学校は閉鎖されることとなりましたが、その後、グロピウスを校長としたバウハウスが設立されました。
バウハウスは、家庭内の生活を消費でなく労働ととらえ、それを合理化し、短時間に処理できるようにシステマチックなデザインを目指しました。
ブロイヤーの金属パイプの椅子やクレーの絵画などが代表的です。
バウハウスが目指した未来像は生活環境の総合化でした。

アメリカのインダストリアルデザイナー

大量生産が世界中に拡散する中で、かつて大衆と呼ばれた人々は消費者と見られるようなっていきました。
鉄道が主流となっていたアメリカでは、インダストリアルデザイナーであるレイモンド・ローウィが速度を重視した流線形態の電気機関車GG-1をデザインしました。
空気抵抗理論に基づいた流線型のデザインはやがてそれ以外にも広がり、「モダン」という言葉と入れ替わりました。
この頃から、外観をリシェイプするためにデザイナーが多用され始めました。
消費者市場を獲得するために継続的にデザインのリシェイプを行い、未来の生活様式をイメージしながら商品化していったのです。

ロシア・アヴァンギャルド

同じころ、ロシアでは革命が起き、その革命の前後にはロシア・アヴァンギャルドという芸術運動が起きていました。
革命後の統一的な生活ヴィジョンを持っていたわけではないものの、マレーヴィッチの巨大な建造物やロドチェンコの抽象的概念によるデザインなど、新たな未来に向かって自由に夢を描くことで、それぞれが未来のユートピアをデザインしたと言えます。

消費社会がますます進んでゆく中、メディアのさらなる発展も重なり、アール・デコという様式が、アール・ヌーヴォー以上の世界的な広がりを見せました。
アール・デコは過去から現在までのあらゆる時代、地域の様式を引用・混合した都市そのものを演出したデザインです。
代表的なものにクライスラービルやピュイフォルカーによる幾何学的形態のティーセットなどがあります。
大量生産品との調和を目指したと指摘することもできます。

駆け足のデザイン史概論ですが、近代のデザイン史は産業の発展と大衆の消費者化の中にありながら、常に次の未来を夢見て、生活様式の未来像(ユートピア)を追い求めたといえるのではないでしょうか。
それぞれのプロジェクトには方向の違いがありますが、誰もが未来を自分の問題ととらえ、質の高い未来像をデザインしてきたのです。



1 個のコメント

  • […] 「日本民藝館」とは、渋谷駅から京王線で2駅の駒場東大前駅から徒歩5分程度にある「民藝」に関する収蔵品を展示している施設です。民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。ちょうど18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と、それに伴う社会構造の変革が「産業革命」と呼ばれ、その風潮に異を唱えるように、イギリスのウィリアム・モリスがアーツ・アンド・クラフツ運動を興したように、同じような考えが日本でもありました(こちらご参照くだされ)。 […]

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